2006年08月16日
映画「ロッキー」のモデルの元ボクサーがスタローンと和解
2006/08/15
6作目の『ロッキー』シリーズを製作中のシルヴェスター・スタローンだが、主人公のモデルとなったボクサー、チャック・ウェップナーが起こした訴訟が片付き、ほっとしているようだ。この訴訟は、2003年にウェップナーがスタローンに対して起こしたもので、自分をモデルに役柄を作り上げる代わりに支払われる金が、約束の金額に足りていないと申し立てた。スタローン側は、ウェップナーが「本物のロッキー」として稼いでいると主張。今月、ウェップナーが訴訟を取り下げる形で終了したが、条件は明らかにされていない。
映画「ロッキー」の監督と モデルとなったボクサーにまつわるお金の話。
有名な話らしいのだが(私は知らなかった)、映画「ロッキー」のモデルは猪木と異種格闘技戦を行った元ヘビー級ボクサー、チャック・ウェップナーだという。
1975年3月24日:無名のチャック・ウェップナーと初防衛戦を行い、15ラウンドKO勝ちするが、ダウン(実はウェップナーがアリの足を踏んだため)を喫するなど、ウェップナーが善戦する。この試合を見たシルヴェスター・スタローンは無名のボクサーが無敵の王者に善戦するストーリーを考えつき、それは後に映画「ロッキー」となる。
猪木とウェップナーの異種格闘技戦は、2年後の1977年10月25日 日本武道館で行われ、6R 1分35秒 逆エビ固めで猪木の勝ち。
この試合で猪木は初めてオープンフィンガーグローブを着用しており、後に総合格闘技で このタイプのグローブが使用されていることを考えると歴史的にも興味深い。
また、猪木戦以前には 1976年6月26日、東京で猪木−アリ戦が行われた日にニューヨークのシェア・スタジアムでアンドレと格闘技戦を行っており、3R 1分15秒 場外カウントアウトで敗れている。
アリほど世間での認識は高くなかったが、古くからのプロレスファンにとって馴染みの深いボクサーの一人であることには間違いない。
格闘技戦を行った後のウェップナーについては、プロレス専門誌(紙)で語られる機会も少ないようなので ちょっと調べてみた。
1978年 スコット・フランク戦で12R判定で敗れ引退。
1986年 コカイン所持で逮捕され3年間服役。
(現在は薬物中毒撲滅に関わる社会貢献活動をしながら穏やかに暮らしている。
薬物に手を出す根っからの極悪人ではないらしい。
アリ戦以前は酒のセールスマンと警備の仕事をしながらトレーニングしていたという苦労人。)
出典:wikipedia/Chuck Wepner
スタローンが映画「ロッキー」で栄光を手に入れた時期とウェップナーがボクサーとしての落日を迎えた時期が奇しくも重なっており、その後の二人の明暗がはっきりと分かれているのが対照的かつ印象的。
しかし、映画「ロッキー」の製作・公開に当たり、モデルとなったウェップナーに対してスタローン側から いくつかの約束があったらしい。
一向に履行されない約束に業を煮やしたウェップナーが映画公開から25年以上が経過した後に法的手段に出たことを報じているのが下の記事。
2003/10/14
『ロッキー』シリーズのモデルになった元ボクサーが、シルヴェスター・スタローンに対し訴訟を起こすことにした。チャック・ウェップナーは1975年にモハメド・アリと15ラウンドを戦って負け、その試合が、『ロッキー』のストーリーの基になったが、スタローンが宣伝活動のために何年間も自分の名前を使ってきたことに対し、自分が何も得られなかったことに怒りを感じている。「『ロッキー』の映画で、僕が大金を得たに違いないと人は言うけれど、このシリーズからは一銭も受け取っていない。映画出演の約束もしたが守られたことはないし、30年経って、何かしなくては、と思った」と語っている。
訴訟から3年近くの時間を経て、スタローンとウェップナー間で何らかの和解が成立した模様。
どんな和解条件なのか 知る由もなし 知りたくもなし。
「ロッキー」を出世作として映画を地で行く成功を収めたスタローン。
「ロッキー」誕生のきっかけになった試合がボクシング人生でのピークだったウェップナー。
30年の時を経てこの二人が交わるのも 何かの縁なんだろうなぁ。
それにしても「ロッキー6」なんて誰か見たいか?
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このネタ面白いっすね!!
僕も知らなかったです。