2006年06月21日

kamipro100号 永田裕志のインタビュー記事

                       

kamipro 100号が本日発売。

kamipro100.jpg

100号記念ということで1号から50号までを紹介する小冊子が付録。
(51号から100号分は来月の101号の付録らしい)
残念ながらA5サイズだった頃(世謝出版社 時代)の表紙は含まれていない。

内容は いつもながら ほとんどDSE関連の記事。
時節柄、フジテレビによる放送中止に関連する話題も多いので、今までの出来事のまとめということで読んで見るのも良いかもしれない。

長らく新日本プロレスの取材拒否を受けていたkamiproだったが、ようやく関係が改善。
(NOAHを始めとして相変わらず複数団体から取材拒否されてますけどね)
巻末近くには、ブルージャスティス 永田サンのインタビュー記事が。
収録は5月25日とフジテレビがPRIDEの中継に関する契約解除を発表する前なのだが、コレが実に面白い。

見出しだけでも もう大変。
「やる前まではミルコには絶対勝てると思ってましたから」
「ギャラも出ないのにヒョードルと闘って俺こそ『馬鹿になれ』を体現した男ですよ」
「あの強いヒョードル、ミルコの二人と闘った日本人って俺と藤田だけじゃない。その現実をどう思うかってことですよ!」
「アルティメット・ロワイヤルは自分でやってて情けなかった!」

インタビュアーも過激。

---- 永田さんといえば、大晦日のミルコ戦、ヒョードル戦でのイメージが強すぎるのも、ゴールデン放送の怖さだと思うんですけど。
永田 2回やってますからね。
---- あれはどういった経緯で出ることになったんですか?
永田 1回目の方は言えるけど、2回目のことしゃべったら、今問題になるんじゃないですか?
---- ダハハハハ!そんなにヤバいんですか?(笑)
永田 そんなこともないけど(笑)

永田サンは週刊現代によるDSE追及のきっかけになったイノキ ボンバイエ2003のいきさつも語っている。
永田サンが聞いていた対戦相手はヒョードル - ノゲイラ - マイケル・マクドナルド - ヒョードルとコロコロ変わる。
最終的にヒョードルの出場が決まったのが12月29日だそう。試合の2日前。

永田 で、正式に発表できるようになってのが30日。試合前日ですよ? もうヤケクソというか、世のため人のためですよ!

さすが 永田サン 愚痴はこぼさない。
あの大晦日は、我々に与えた素晴らしき救済だったのですね。
でも、さすがにお金についてはちょっとこぼす。

永田 川又氏も週刊誌でどうのこうの言う前にギャラを振り込んで欲しいですね。

永田サンもうステキ過ぎ。オトコの中のオトコですね。
川又サン お願いですから永田サンだけには、逃亡先からギャラを振り込んであげて下さい。

もっと面白い内容が書かれているインタビュー記事。
興味のある方は書店でkamipro100号を手に取っていただきたい。

他のプロ格blogサイトはこちら  人気blogRanking

▼プロレス・格闘技DVD新作リリース情報▼
書込み自由!プロレスwiki「プロレス小事典」への参戦はこちらから

コメントを読む(0) / コメントを投稿する / トラックバック(0)
このカテゴリの最新記事
この記事の関連商品
トラックバック