2006年04月22日
藤波が新日本に辞意表明
藤波が新日本辞める?辞意伝えた
新日本の藤波辰爾取締役(52)が会社側に辞意を伝えたことが21日、明らかになった。藤波は創業者アントニオ猪木の一番弟子として、72年1月の新日本設立から参加。数々の名勝負で団体を盛り上げ、99年からは5年間社長を務めた。だが、昨年10月、過去2度退団した長州力が現場監督として復帰。その後の体制とは方針が合わず、不満を抱えていた。現在、会社側と親会社ユークスから全力で慰留されている。藤波は24日の株主総会後、残留か退団かの意思を表明する。
藤波が新日本に対して辞意表明。
株主総会直前というタイミングを考えると退社の決意は固いのではないか?
翻意するようなことがあっても、ドタバタ劇は新日本のイメージを良くすることはないし、藤波もコンニャクイメージが増すだけ。
山本小鉄、木戸修らと同じ新日本 旗揚げ時から参加した生え抜き選手の一人の藤波。
ジュニアのヒーローからヘビー級に転向してからは、どうも割を食い続けていた印象が強い。
維新軍、UWF勢の離脱という新日本にとって難しい状況で、いつも前面に立っていたのは藤波だったよなぁ。
84年2月、札幌中島スポーツセンター 対長州戦。
入場中の長州を藤原が襲い試合不成立となった「雪の札幌中島事件」。
怒りに震えながらタイツ姿のまま、会場を立ち去る藤波の言葉。
「俺の気持ちがおまえらにわかってたまるか。こんな会社、明日にでもやめてやる。 試合なんかしたくない。猪木さんに言っておけ。俺は絶対にあやまらないからな」
こんなことを言い放ってから22年。
もうそろそろ 本心で動いてもいいんじゃありませんか?
それにしても末期的な新日本プロレス。
「ストロング・プロレス」に代わる新たなスタイルが定義できないウチは、何をやっても中途半端に終わるだろう。
もちろん そのための試行錯誤期間が現在の新日本なのだろうが。
新日本プロレスが同名の別プロモーションとして生き延びることを期待しつつ、もうダメかなとも同時に思う藤波の退社の話。
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