2005年10月25日

クラッシャー・リソワスキー死去

                       
リソワスキーさんが死亡、日本で活躍
 全日本プロレスでも活躍した元AWA王者クラッシャー・リソワスキーさんが、22日に米ミルウォーキー州の病院で亡くなっていたことが分かった。79歳だった。死亡原因は明かされなかったが、ここ数年は入退院を繰り返していたという。60年代にAWA世界シングル、タッグの2冠に君臨した。日本では必殺のメリケンサックでジャイアント馬場さんと流血戦を繰り広げたことでも知られ、日本プロレス、全日本、国際で活躍した。

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昭和の名レスラーがまた鬼籍に。
クラッシャー・リソワスキー(本名:レジー・リソワスキー 写真左)が79歳で逝去。

Wrestling Observerの23日付けheadlinesに紹介されていたにも関わらず、見逃してましたねぇ・・・ うーん。

昭和42年11月 日本プロレス「ウィンター・シリーズ」
昭和43年 1月 日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」
昭和44年 8月 日本プロレス 第二次サマー・シリーズ」
昭和47年10月 国際プロレス「ビッグ・ウインター・シリーズ」
昭和51年 1月 全日本プロレス「新春ジャイアント・シリーズ」
と5回の来日。
(参考文献:「ミック博士の昭和プロレス研究室」来日全外国人レスラー名鑑ク(1)

ディック・ザ・ブルーザー(写真右)とのタッグチーム「極道コンビ」はあまりに有名。
隠し持ったメリケンサックによるラフファイトで馬場のライバルとしても活躍した。

アメリカでは、オマハ版AWA世界王座(昭和38年)、ミネアポリス版AWA(昭和38年)、更に統一なったAWA世界王座(昭和38年および40年)を獲得している。ちなみにオマハ版、ミネアポリス版、統一AWA王座を獲得したのはリソワスキー以外にはバーン・ガニアしか存在せず、昭和40年にはAWAタッグ王座も獲得しているという実績は、当時のAWAエリアでのリソワスキーの人気の高さを物語る事実だろう。

力道山を中心とした日本プロレス時代の映像が市販されているが、当時のプロレスを現在のプロレスと比べてみると、テクニック的には特に見るべきものはない。
しかし、リングの上に立つレスラーの持つたたずまいは、今のレスラーにはないものがある。
人間離れした肉体から発散される各レスラー独特の雰囲気は現在のレスラーからは、そうそう感じられるものではない。
そんな妖しいニオイを漂わせる名レスラーが また一人・・・。

奇しくも、DVD 「流智美の黄金期プロレス50選 vol.4 生傷男ブルーザー&ぶっ壊し屋クラッシャー」が12月20日に発売予定。
興味のある方は昭和のレスラーのたたずまいを確認してみるのも よろしいかと。

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