2004年07月10日

ラッシャー木村引退 東京ドームで最後の「こんばんは」

                       
ラッシャー木村が引退を表明

 第5試合終了後、ラッシャー木村がビデオレターで引退を表明した。木村は「こんばんは、ラッシャー木村です。私は体調を悪くしてリングを離れ、カムバックを狙ってリハビリをしていましたが、思うようにいかず、これ以上やると会社、ファンの皆様に迷惑がかかるので、引退を決意しました」とあいさつ。

 1965年にプロデビューした木村は、39年間で7団体を渡り歩き、リング上でのファイトはもちろんのこと、強面からは想像し難いユニークなマイクパフォーマンスで人気を博した。2001年には現役レスラーとして還暦を迎えたが、2003年3月1日の日本武道館大会がラストファイトとなった。

 木村は「本当に、本当に、長い間、ご声援ありがとうございました。ごきげんよう、さようなら」と最後まで“木村らしさ”を見せて、マイクを置いた。

木村サンのラスト「こんばんは」でした。

ラッシャー木村を有名にしたのは、国際プロレス時代の金網デスマッチの数々ではない。
プロレスファンの間では有名な話だが、'81年9月23日、新日本プロレスの黄金期にあのハンセン対アンドレ戦という名勝負を生んだ田園コロシアム大会がそれである。

この年の8月、北海道羅臼町大会を最後に崩壊した国際プロレスから参戦した木村、浜口、寺西の3人がレスラー感覚丸出しのファッションに身を包み、興奮のるつぼと化した田園コロシアムのリングに上がる。マイクを持つ木村の口から「猪木!この野郎!オレたちが新日本をぶっ壊してやる!覚えておけよ!」というようなレスラーとしてビジネスライクなアジテーションを当然のように期待する観客の前で彼の発言はこの言葉から始まった。

「こんばんは ラッシャー木村です。」

失笑というよりも受けまくる観客。猪木もイヤーな顔というか微妙な表情。
こんばんはの後には秩父の山中で特訓している等の発言があるのだが、そんなことはどうでも良くなる出だしの一言。敵地に乗り込んだ国際軍団のリーダー ラッシャー木村というより木村政雄の人柄が現れた瞬間だった。
この一言がプロレスファンの間ではネタとして長く語り継がれる「ラッシャー木村 田コロこんばんは事件」である。後のマイクパフォーマー木村誕生の端緒になったのは間違いない。

この後、猪木は国際軍団との抗争として木村と数度の試合を行うのだが、力量の差は歴然で結果として猪木のキラーぶりが目立つ試合となってしまう。しかしヒールとして決してギブアップしない木村サンにプロ魂を見た者も多かろう。

レスラーとして最後の「こんばんは」に熱かったあの頃の新日本プロレスの思い出を重ねて、木村サンに「こんばんは」を返す23年後の夏。

(あの夜の出来事は新日本プロレスリング  THE REVIVAL〜復活〜 VOL.11 壮絶!9.23 幻の田園コロシアムとしてDVD化されています。もちろん木村さんの「こんばんは」も収録済み)

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